帝京大学 特任教授
森記念財団 理事
第1回プレセミナーで伊藤先生は、東京は島嶼化しているとおっしゃっていた。そこで今回は各々の島=エリア開発に携わっている方々から、どういう島をつくり、また島々はどうなるのかを伺いたい。
大手町・丸の内・有楽町エリア(以下、大丸有)は120haほどの区域面積があり、千代田区のほぼ10分の1を占める。過去数十年で街並みは大きく変わった。1995年当時は低いビルもまだ多く、大丸百貨店が東京駅の背後に建っていた。その20年後、大丸は低層化され、皇居から見たときの東京駅の背景がスッキリした。もう一つの大きな変化は、丸の内を南北に通る仲通りである。昭和40年頃は整然としているだけで面白味がなく、平日昼間や土日は閑散としていた。しかし、現在ではいつも賑わっている。このような変化は、大丸有まちづくり協議会や、エリアマネジメント協会、エコッツェリア協会などの複数のまちづくり団体の活動を通じてもたらされた。それらの団体は、ソフト面から街を考え、変えていく取り組みを行っている。建物自体は数年経つと人の関心が薄れ、集客力が落ちるが、エリアマネジメントを通じてエリアの価値を高めることで、新旧あらゆるものの価値も高めている。時代の流れと共に柔軟にガイドラインを更新することで、常に街を新しい方向に導いていっている。
大丸有の今後の展望としては、このエリアを拠点とする企業の従業員をはじめ、個人が主役になれるまちづくりを目指している。言い換えると、よりイノベーティブな働き方に着目し、共用部や道路空間を含めた、人の交流と情報交換の場所と機会を増やすことである。大丸有エリアにはWeWorkをはじめとしたイノベーション施設が既に複数あり、TechLabやFINOLABなど様々なラボが創設されている。民間企業の開発部門が入居するなど、新しい動きも生まれてきている。こうした活動を個別にやるのではなく、人と人を繋げ、ネットワークを築き、同時に働き方を改善することを目指していく。また、AI、IoTなどを取り入れるべく、現在複数のエリアの中で実証実験を進めている。大丸有は歴史的に、第二次産業、第三次産業の先頭を切ってきたという自負がある。だからこそ今後も次の時代に必要なものを、先陣を切って取り入れていきたい。
日本橋の独自性や日本橋らしさとは何かを考えたとき、三つの答えがあると思う。一つ目は多様性がある街、二つ目は変革やチャレンジを続けてきた街、そして最も重要な三つ目は、人と人の繋がりを古くから大事にしてきた街ということである。日本橋はどちらかというと保守的な街という印象が強いが、それとは異なる側面を持つ。このような特長は、歴史的背景が影響している。江戸時代に魚河岸であった日本橋には元々いろいろな機能が集中しており、結果的に様々な人が集まっていた。それが街に多様性を生んだのだ。また日本橋に集まる商人たちは新しいものや挑戦に寛容だった。こうした変革やチャレンジを受け入れ、取り込んでいくDNAが今も息づいており、最近はライフサイエンスなどの新たな産業の育成に取り組んでいる。また同時に商人にとってシビアな街であったからこそ、共助の精神や新参者を迎え入れる粋な精神があり、今も受け継がれている。当社は「残しながら、蘇らせながら、創っていく」というコンセプトのもと、ここ20年ほどエリア開発を行っている。
三井不動産では、2014年のCOREDO室町2・3オープンを機に「産業創造、界隈創成、地域共生、水都再生」の4つのキーワードをもとにまちづくりを行っている。例えば産業創造に関しては、もともと江戸時代に薬師問屋が立ち並び、現在も製薬企業の本社が集中しているという歴史的背景を活かし、今後ますます重要性を増すライフサイエンス産業を中心に、イノベーション拠点の整備をしていくつもりだ。2年前に創設したLINK-Jという社団法人は、様々な規模の交流イベントや、民間・行政・学術機関が共に行うイノベーションイベントを主催している。実際に複数のベンチャー企業が大手企業の出資を受けたり、メンバーが様々な賞を受けたりと成果も出てきている。
もともと日本橋自体は非常に広いエリアを指し、全体で270ha位ある。人形町や馬喰町、浜町など非常に個性豊かな街が集まっており、地元の人々は日本橋に対する思いや意識を共有している。こうした地元の人々と共に開発を進め、街全体に必要な機能を全て補えるような形を模索している。前述のように、日本橋には古くからのコミュニティや活動が現存しており、地域に根差した祭りやイベントが多く行われている。神社や広場などを整備することで、地域の人々と周辺地域の交流を生み、新しい付加価値を生み出せるようなコミュニティスペースを確保している。
多様性、挑戦心、人の繋がり、これらを基軸に今後も街をつくっていきたい。日本橋というと敷居が高い印象があるが、一度またげばこんなに居心地のいい場所はない。この敷居を下げていくことこそ、我々デベロッパーの仕事だと考えている。
渋谷駅前半径2.5キロ範囲の「広域渋谷圏(Greater SHIBUYA)」の歴史を振り返ると、まず鉄道ができ、東急東横線が開通したのが1934年だ。その後1964年の東京オリンピックを契機に、NHKが渋谷に移転し、街自体が大きく変わった。1960年代当時は未だ鉄道沿線に住む人々が休日に遊びにくる街という位置づけだった。この頃から渋谷は若者の街と言われるようになった。現在の渋谷にはIT関連企業やスタートアップビジネスが非常に多く、QFRONTなどのビルはメディアの発信力がある。加えて最近では渋谷・原宿に海外からの観光客も増加している。鉄道を運営する東急としては、沿線の渋谷駅だけでなく、世界の渋谷をどうつくるかを念頭におき、特にエンタテインメントで街全体を盛り上げようと考えている。渋谷が現在のような変貌を遂げた契機は、1998年の小渕内閣緊急経済対策だ。そこで現在の副都心線の計画が生まれた。その後東横線では、インフラや駅の使い勝手について様々な議論を行い、ようやく出来上がりつつある。例えば、都市再生機構(UR)も参画する土地区画整理事業の一環として、鉄道のために地下化し暗渠となっていた川を、再開発に伴い復活させようとしている。
これから続々とビルが周辺に建っていく予定だが、その端緒となったのが、東急文化会館の跡地に建てられた渋谷ヒカリエである。商業、オフィス、劇場、ホール等を有した多機能施設で、多層構造の渋谷駅で「縦」の移動拠点となる公共空間、すなわちアーバンコアを建物内に備えることで都市再生特区の公共貢献を果たしている。また、シアターオーブというミュージカルシアターがあり、Bunkamuraとともに渋谷を代表するエンタテインメント施設となっている。加えて、渋谷ストリームとスクランブルスクエアの2つのビルが相次いで完成予定である。9月13日開業の渋谷ストリームはオフィス、商業、ホテル、ホール等を備え、オフィスにはグーグルジャパン本社が入居する。商業は囲い込み型ではなく、街に開かれた商業空間の整備を目指している。並行して渋谷川の整備も行う。9月にはオフィスや商業、展望台など多機能型の施設である渋谷駅街区・東棟が完成する。そこでは、東京大学、東京工業大学、早稲田大学、慶應義塾大学、東京都市大学の5大学との連携組織を設立し、産学連携のラボを運営する予定だ。代官山方面でも様々な開発案件が出てきている。例えば、LOG ROADやCAST、100BANCH、チェリーガーデンなどである。こうした開発事業で大切にしているのはエリアマネジメントである。渋谷駅前エリアマネジメント協議会という組織をつくり、公共空間を活用し、官民連携で地元を盛り上げる枠組みをつくっている。
東急が開発を通じて目指すのは、鉄道事業者として沿線との交流を重んじ、色々な土地と連携しながら、新しいアイデンティティのコアをつくることだ。ロンドンのシティとウエストエンド、ニューヨークのウォールストリートとタイムズスクエアとのように、街には異なるアイデンティティのエリア郡がある。東京では鉄道に根ざした形で、多様なアイデンティティを育んでいきたい。
森ビルは港区で多くの事業を行っている。六本木、虎ノ門エリアを含めた港区の特徴は、非常に国際性豊かで、充実したビジネスサポート、生活サポート機能を備え、豊かな自然環境と歴史的資源を有している点だ。こうした特色をもつ港区の歴史をさかのぼると、今から約160年前の江戸時代、虎ノ門・六本木エリアには武家屋敷が建ち並び、非常に大きな区画割があった。約120年前の明治時代になると、現在の都会の骨格ができた。虎ノ門、六本木それぞれ武家屋敷の代わりに西洋風の建物が並びはじめ、より小さな区画の集積が顕著になってくる。東京タワーが建つ昭和30年代に入ると、虎ノ門辺りに小さなオフィスビルが並びはじめ、六本木エリアは若者の街、繁華街として、海外旅行客も訪れる場所となった。地形的に港区は低層と台地の間に位置しており、また人口密度の観点からいえば、住む人と働く人の中間にあたる。
森ビルではこういった港区ならではの特色を活かしたまちづくりに注力している。1959年、西新橋に第二森ビルという貸しビルを建てたのを契機に、アークヒルズ、愛宕グリーンヒルズ、アークヒルズ仙石山森タワー、六本木ヒルズ、虎ノ門ヒルズといった開発に取り組んできた。森ビルの目指すまちづくりは、緑豊かな、機能が複合されたコンパクトシティをつくることである。地上部に緑を豊富に確保し、地下部に多様な機能を備えた職住近接のコンパクトなまちづくりを理想としている。これを実現する1つの手法としてVertical Garden City(垂直緑園都市)という考え方を採用しており、その代表事例が六本木ヒルズである。
今後の計画としては、六本木五丁目西地区、虎ノ門・麻布台地区、虎ノ門ヒルズを中心とした虎ノ門エリアの開発が挙げられる。六本木は文化の中心としてかなり存在感を放つようになったが、既存のミッドタウン、国立新美術館、六本木ヒルズのアートトライアングルに加え、六本木五丁目に国際文化の新拠点を形成する予定だ。また虎ノ門・麻布台地区では、緑の公園の中に多様なサポート機能を備えた超高層が建つような、生活と文化を中心にした新しいまちづくりを目指している。そして虎ノ門ヒルズ周辺には、大型ビルを3棟建設予定で、日比谷線の虎ノ門新駅も桜田通りの地下にできる。加えて、優秀な人材が集まる丸の内とベンチャー企業が集積する渋谷の中間に位置するエリアとして、ここにイノベーションセンターを創設し、新しいビジネスの発信拠点とする予定だ。国際新都心グローバルビジネスセンターというコンセプトのもと、オフィス、住宅、ホテル、駅と直結したバスターミナルや、レジデンスを全て備えた施設が生まれる。文化中心の六本木ヒルズ、生活中心のアークヒルズ、ビジネス中心の虎ノ門ヒルズといった各エリアをうまくつなぎ、ひいては丸の内や日本橋、渋谷に繋がっていく、東京全体の魅力を高める開発を担っていきたい。
今後は異なるエリア間の連携が盛んになるのではないかと思う。その上で東京全体の個性や魅力を高めるために、何をすべきかについて考えていきたい。一つ目の質問として、エリアごとに与条件は異なるはずであるが、開発計画を立案するにあたり、ほかのエリアの計画を意識されているか?
確かに各エリアが独自性を持って開発をしているが、機能的には類似してきている。互いのエリアを常に意識することで共通したベースが作られてきているのだと思う。
各社がイノベーション施設をつくる中、差別化を図るには何が必要だとお考えか?
丸の内の場合は、職住近接の街ではないため、個人というよりは企業単位で考えることが多い。そこで大事なのは、誰に会えるかということだ。イノベーティブな人々を引き付けるため、オフィスと人の組み合わせを意識している。
SNSに普及により、人のつながりが以前よりも緊密になったが、各デベロッパーにとって人の繋がりや人の集まるイベントは重要か?
SNSの台頭以前から、フェイス・トゥ・フェイスの交流やつながりは重視されており、SNSはあくまでもその新しい手段だと思う。先日、クラウドファンディングのイベントが丸の内で行われたが、これは我々が仕掛けたわけではなく、主催者側が自発的におこなった。このように自然発生的にイベントが続出すると街はより楽しくなるだろう。
人には「六本木系」や「渋谷系」のようにテイストや属性があるが、デベロッパー側はそうした属性に拘らず新しい人や会社を引き込む発想があるのか?
まずは地域固有の資源をどう活かすかという発想をする。だから来る者は拒まない。地域のリソースを様々な形で活かすことで、徐々にエリアならではの特徴が生み出されていくと思う。
現時点では各エリアで異なる特徴をもっているが、やがて重複する要素がでて、それぞれが協力し合うのではないだろうか?
ちょうど今、三菱地所と三井不動産で回遊イベントを行っている。これには大丸と高島屋、JRも加わっており、丸の内、日本橋、人形町を買い回りしてもらうのが目的である。シャトルバスの導入も検討しているが、こうしたことは今後ますます増えていくと思う。
東京をより魅力的な都市にするために、海外の都市から学ぶべきことはあるか?
森記念財団が発表している「世界の都市総合力ランキング」から見えてくることは、1位のロンドンと比較して3位の東京に欠けているのは文化的要素や空港アクセスの要素だ。こうした複数の弱点を見極めながら、まちづくりをしていく必要があると思う。
今後、東京の魅力をさらに高めるには、より特徴ある景観をつくるべきという意見があるが、ランドスケープについてはどのようにお考えか?
規制が厳しいため建設は容易ではないのだが、街路ネットワークの形状とランドスケープの関係性を踏まえれば、Y字路などが豊富な渋谷はランドマーク性を発揮しやすい。駅はどれも似通っているが、もっと駅ごとに個性をだしてもいい。加えて緑化にも注力すべきだ。
日本橋には、明治・大正時代に建設された日銀や三井本館、三越、高島屋など歴史的建造物が豊富にある。これは観光資源であり、街の風景として保存すべきだ。現在、他社にもご協力頂きながら、昔の百尺規制を意識した百尺ラインの導入を行っている。そうすることで新しいビルと古いビルの間に一体性が生まれる。
丸の内のランドスケープだが、特に皇居の前はきちんと調和の取れた建造物と色合いが求められる。我々が自主的にガイドラインを設けるほか、区や都の景観審議会が入ることもある。2027年には400m近いビルを建てるのだが、これは整然と並んだ丸の内の景観にかなりのインパクトをもたらすだろう。だが我々としては、上空におけるインパクトだけでなく、ビルの地上部分や地下部分に色々な工夫をしている。例えば、皇居のお濠に面したビルを建て替える際、お濠の水を浄化する装置を地下に埋め込んだ。様々な工夫を丸の内全体で行っていくべきだと思う。
森ビルが開発する土地は、他の3社と異なり、高低差がある上、地元の人々と一緒にまとめていく形のため、敷地が不整形で、広い道路に面していないことが多い。そこで、ヴァーティカル・ガーデン・シティのコンセプトのもと、コンパクトシティ化を行い、地上部には空地や緑地を多く設けている。森ビルでは、超高層の景観や足元の景観が街全体にどのような影響を与えるのか配慮しながら開発をおこなっている。
東京には良い街が沢山あるが、それらを繋ぐ交通機関が混雑している。これに対する解決策やアプローチはあるか?
今後、働き方改革などによって変化が生まれ、9時出社の人々が減れば、自然と混雑は解消されるであろう。一方10年前から、鉄道の乗客の減少を懸念していたが、海外訪日客の影響もあり、実際には減っていない。
今後すべきなのは、海外から訪れる外国人も対象としたまちづくりだ。これについてどのような工夫をしているか?
多言語対応を含めたインフラ整備はおこなっている。ただ、あまり外国的にしてしまうと、おそらく外国人訪問客にとっても面白くないだろう。どの程度外国に合わせ、どの程度日本的な要素を残すか、様子を見ながら調整していきたい。
多くの開発が終了する2025年以降も、各エリアのレベルが上がっていれば、それだけで価値が生まれ、東京は生き残ると思う。これについて各社の意見を伺いたい。
人々の働き方が変わっていく一方で、街自体はエンタテインメント性に富んだ楽しい場所へと変えるなど、バランスをとるべきだ。一番気になるのはコワーキングのスタイルである。大企業は情報管理のために他企業との協働は難しいと思うが、可能性としてゼロではない。
インバウンドよりビジネス寄りの話になるが、国内でお金が回らず、魅力が衰退すれば海外からの投資は見込めない。また東京一極のみで地方が衰退してしまっては、国としての魅力がない。つまり地方の魅力を残しながら、その魅力を東京で発信していくことが重要だ。大丸有にある3×3 Lab Futureのような場所では、東京と地方の連携プロジェクトやビジネスを行っており、そういった取り組みは今後ますます増えていくだろう。
現在は、特区や容積割増を活用し各社開発をおこなっているが、それができるエリアは限られている。井上氏が言われた通り、地方の魅力を取り上げ、東京から発信していかなくてはならない。
すでに述べられた通り、今後働き方が変わり、職住の境目がシームレスになっていくと思う。しかしそうした時代でも、人が求めるのは環境や憩いであり、また文化や教育は不滅だろう。抽象的だが、どんなに技術的に進歩しても、安心できる場所が東京には必要だ。
最後の質問だが、東京における各エリアのアイデンティティはなんだろうか?
港区は、職住近接のコンパクトシティだ。
渋谷は混沌で、それをグレーターに変えていく。
日本橋は、江戸時代から受け継がれる町人のたくましさだ。
渋谷と対極になるが、丸の内は調和と寛容性だ。