帝京大学 特任教授
森記念財団 理事
第1回セミナーでは、江戸から東京の流れを振り返った上でこれからの東京のあるべき姿について考えた。第2回の今回は、建築家と照明デザイナーをお招きし、「素材・デザインから考えるアイデンティティ継承の柔軟な発想」というテーマに関して皆さんと一緒に考えていきたい。
「星のや軽井沢」を設計する際にクライアントから出された要望は、西洋に媚びないでほしいということだった。西洋文化に追随するのでなく、日本をテーマにしながら、どこにでもある田舎の風景に建築で個性を色づけすることを目指した。部屋の中でのくつろぎ方を考えるときも、西洋的にソファに座ってくつろぐのではなく、日本人の畳の上でのくつろぎ方をより快適に発展させるために床座用の家具を作った。和室という様式が今後も残っていくのは難しいかもしれないが、畳の上に座るという行動、あるいは畳という素材を残していくことはできると思う。
「星のや富士」ではテラスを沈めることで室内からの見通しを確保するための工夫を行っているが、このような視点の高さへの細やかな気遣いは、縁側からのお庭の見え方など、常に視点の高さを考えてきた日本人の文化の延長線にあるのではないかと考えている。また、海外では雑音といわれる虫の音を風流と感じる日本人の音に対する敏感さを表現するために「星のや東京」では細長い筒のような露天風呂をつくった。普段地上で聞いている都市の様々な騒音が、上に行くとともに一緒になって都市でしか起きないような一種独特な音になって聞こえてくる場所になっている。
今、日本の技術がどんどん減っていっている理由には、職人が技を保てるだけの仕事がないということもある。デザイナー自身がどういう技術があるのか勉強して、意識的に使っていかないと残していくのは難しい。家具も買うのではなく、視点の高さや場所のくつろぎ方に合わせて特注をしている。石や壁においても、手の技がはっきりとわかるようなデザインにしている。職人たちが高齢化しているなか、技術や素材を集めるための目をどうやって次の世代につないでゆくかが課題だ。
とはいえ、物事の本質は形だけではなかなか伝えにくい。体験してもらって伝えるということ、目に見えない部分にその考えを乗せていくことが大事だと思っている。旅館をテーマとした「星のや東京」では、靴を脱いでもらうということを提案した。普通の温泉旅館のように単純に玄関をつくるだけではお客様の記憶に残りにくいので、一階をすべて玄関にあて、お客様が降りてくると靴が用意されているというおもてなしもあわせて設計している。このように、何か日本らしいというところをテーマにしながら、ほかと違う切り口や個性で見せていくことを私たちは常に意識している。
2008年に現代美術家の杉本博司と二人でつくった新素材研究所は、「旧素材こそ最も新しい」という理念に基づき、古い素材や工法を積極的に使い、再編集していく取り組みを行っている。素材から見える時間というものを大切にしており、特に石と木に特化している。これまでの素材の扱いを通じて見えてきた我々の考え方のいくつかを本日は共有したい。
一つ目は「Timeless(超越した時間)」。文明が始まってから連綿と続いてきた人間の営みのなかで、ここ100年ぐらいででき上がった今の時間の概念や西洋化した価値観に対して、一回疑問を持ってみるべきだと考えている。その上で、建築を通じて、どのような経験や感動をしてもらえるかということを考え続けており、それを「Priceless(超越した価値)」と呼んでいる。さらに、「Social Effect(都市・社会的影響)」を常に意識しており、住宅という Detail(細部)を考えながら、都市スケールでも物事を考えている。
海外での仕事が多くなるにしたがって、外国人は「寿司、歌舞伎、芸者、フジヤマ」といったような、わかりやすい日本的な趣味のものよりも、お茶とか能とか神道といった日本人の血の中に刷り込まれているような精神性のほうに憧れを抱いていると感じる。マンハッタンでレジデンスを現在手がけているが、そのクライアントは日本の古素材や精神性に強い興味を持っており、わかりやすい社寺や茶室、京都的な数寄屋ではなく、現代的な感性のあるものをつくってほしいというオーダーだった。材料と一期一会で関わっていただくために、購入した銘木を機械で切って中身を見せてもらう瞬間の驚きや、価値のある木材は本当に上手な職人に鉋をかけてもらうと、切り口は塗装せずとも水をはじくようになるといったようなこともクライアントと共有した。
この100年ででき上がった価値基準が、未来に持続可能なのか、本当に正しいのかということを一度考える(Timeless)、お金で得ることはできない経験、いかに感動してもらえるか考えること(Priceless)、まさに今日のこの会のように、細部を考えるのと同時に、社会や都市について考える(Social Effect)。都市の魅力のため、引き続きこれらについて考えていきたい。
照明デザイナーというのは、光という絵の具で、夜のキャンバスに絵を描くアーティストであり、日本では1980年代ぐらいから認知されるようになってきた。
歴史を振り返ると、中世フランス以降、都市の中で照明が発達していく過程には、秩序、指標、治安の3つの要素があった。一つ目の「秩序」というのは、中世を例に取ると、王様の居城であるお城を頂点とする社会的な秩序。それが都市の中で、空間的な秩序として広がり、それが照明においても、ヒエラルキーのような形で表現されるようになった。二つ目の「指標」とは、その街の中で一番大事なものや、目立たせるべきものなどを明るくし、目印にするということ。これが進行し、現在のランドマークのライトアップのようなアイデンティティづくりにつながってきた。「治安」も大切な要素で、特に中世の場合は、夜間の外出は危険であったため、街を明るくして夜の街を安全にする兆候が見られた。
東京の夜景の課題としては、1)個性がない、2)明るさやイルミネーションの不統一、3)照明器具に対する誤解、4)明るさとまぶしさの混同、5)省エネ配慮の不足、6)ヒエラルキーの欠如、7)界隈の特徴があいまい、7)日本のテクノロジーが反映されていない、などが挙げられる。
都市のライトアップと言うと、寺院や市役所といった“物”を照明しようとするが、物だけではなく、道路照明も含めた計画をして、点だけではなく、線、そして面に広げていくという考え方が必要。また、最近では、世界中で光をモチーフにしたイベント、いわゆるライトフェスティバルというものも増えている。さらに、ライトアップを資源にした場所づくりもされている。例えば、パリのケ・ブランリ美術館の屋上にある「レ・ゾンブル」というレストランは、何を食べているかわからないぐらい中が暗い。それは、エッフェル塔がきれいに見えることがコンセプトであり、レストランの名前は日本語で「影」。光はエッフェル塔、私は影、そのように考えに考え抜いたレストランである。
また、最近では明るいだけではなく、暗いところも残そうというマスタープランもある。また、街全体のマスタープランをつくり、それから一つひとつの川べりや広場などの、公共空間の照明をきれいにしていくときに、どういう賑わいや雰囲気をつくっていくかということまで、ブレークダウンされて、その一つ一つが実際の事業に落ちていき、最終的には狙った街の形に少しずつなっていくという試みもある。世界的なアソシエーションも存在しており、光に力を入れている街が加盟して、世界中で光に関する勉強会を行ったりしている。
ここからは、本日のテーマである「素材やデザインの力で東京のアイデンティティを強化するにはどうしたら良いか」についてディスカッションしていきたい。
一日の半分は夜のため、夜の時間帯のアイデンティティづくりは大切。シンガポールの夜景を例に取ると、20年くらい前までは、シンガポールで夜にオープンカフェに行くことはなかったが、川沿いの開発とともにカフェを誘致し、植民地時代からの瀟洒な建物をライトアップするなどしたことで、現在では大変な賑わいをみせている。人々のメンタリティも変わり、夜に出かけるようになった。観光客も訪れるようになり、相乗効果を生み出している。まずひとつ起爆剤として何か始めると次に繋がりやすい。
素材の話を伺っていると、日本文化にある奥深さを感じた。それをこれからの街づくりにどのように反映すれば良いのだろうか。
都市にどのように反映すべきかについては、自分自身まだ整理はついていないが、日本的な精神性というのがキーワードになると思う。東京は増殖していくような都市の風景がある一方、都市の中に静寂もある。日本人がそもそも持っているその感覚が大切だと感じている。
日本人はもう少し自国の文化を肯定したほうが良い。明治維新や戦後に、西洋文化のほうが進んでいると捉えて、日本文化を壊してきてしまったところがある。自国の文化を改めて見つめ直し、何らかの形で復活できることがあると思う。一人一人の建築家の力では、文化を作ることはできないが、ディベロッパーが経済性の追求だけでなく、東京のあり方を戦略的に見ていくことで、均質的ではなく、エリアごとに際立った特徴が生み出されるのだと思う。
伝統的に日本人は陰翳礼讃の文化を持っていると思う。光と影の復活はこれからの東京に日本らしさや特性をもたらすだろうか?
日本は戦後復興のときに、とにかく明るいのが良いという感覚になってしまった。陰影を愛でる感覚、陰影に対する敏感な感覚といった、日本人が本来持っていた感覚や繊細さを取り戻すことができればと思っている。
蛍光灯文化からLED文化に移ったことで、そのような感覚に戻れるチャンスがあるのではないかと感じているがいかがか。
LEDというのは点光源のため、たくさん繋げない限りは線光源にはならない。これをうまく使うことによって、明るいところと影のところの対比、それからコントラストの美しさや、その間の段階の微妙さのようなものを生み出すことは可能。
欧米の人が憧れる日本人のメンタリティとは具体的に何だと思われるか?
欧米では、大理石のようなシャイニーでわかりやすい豪華さの素材が高価なものだと感じる方が多いが、日本人の感覚はすごくマットなもの。シャイニーでないものを高価な素材と捉えるのは難しい。材料の背景を読み解こうとする力が、日本人の感性に表れているのだと感じている。
建築的な意味での素材を、都市的スケールで考えるにはどうしたら良いだろうか?
おそらくパリやロンドンのようなやり方は、東京では成立しないだろう。第1回の伊藤先生が言われていたように、エリアごとで島になるというのが、日本の文化ではないかと思う。経済や文化など、それぞれのエリアごとに動いていくものが違っていて、混在している、それが東京の現状・魅力だとしたら、それを大事にしていくべきだし、全てを均質的に作ってしまうと、ほかのアジア都市のようになりかねない。だから反対にこの混在を、丁寧に見つめ直して、素材も含めてエリアごとの特徴を仕上げていくべきではないだろうか。原宿や秋葉原や新宿、それぞれ違う世代の人が、違う考え方でいろいろとその街を作ってきたように、そのようなことが起きてくるおもしろさが、東京だと思う。
100年ぶりのジャポニズムブームといわれるが、いったい外国人は東京や日本の何に惹かれているのか?
混在の仕方だと思う。地区ごとの混在と歴史の混在。高層ビルが林立する中に、古いお寺があるのを見て、「これがザ・日本だよ」と、海外の方は言われる。その混在の仕方は私も魅力的だと思うので、大事にしていきたい。古いものを都市開発の中にうまく組み込んでいきながら、存続し続けるということが大切。
東京には今も「路地」が残るが、路地というのは難しく、狭いと火災が起こった際に危険だという考え方がある一方、路地は最もヒューマンスケールな場所で、文化が生まれるという考え方もある。
今、山の手線の内側は高層化しているが、高層化によって土地から離れていくのは、日本の文化と違う気がしている。一部は高層化するとしても、低層エリアも残してもらいたい。そうすることで、小さな単位の街が残り、そこに路地のようなヒューマンスケール感が残っていくのだと思う。
おそらく東京が持っている独特の文化は何かと考えていくと、きっと路地も入ってくると思う。
建築家としても、高層化をした中に路地をうまく入れ込むことができれば、それは新しい日本独特の高層化が生まれるかもしれない。
都市のアイデンティティを作る上で、ライティングの力は大きい。東京はどういう形で、どのような場所をライティングすれば良いか。
公共の場所をどのように捉えるかが重要。西洋の人にとって公共の場所は、“私の家ではないところ”ではなく、“みんなのものだから私のものでもあるところ”。そのため、公共の場所をどうするかについては、みんな真剣に議論する。日本では、“私の家とは関係がないところ”という意識がある気がするが、そのあたりの意識を変え、広場などの公共空間を光で共有できるような仕掛けをつくれたら面白い。
道路も重要だ。都心は明るいように見えるが、まぶしい街灯がついているから明るく感じているだけの場所も多くある。逆に住宅地は暗く、電柱に蛍光灯がついているだけのようなところがいまだにある。道路空間がきれいに照明されることによって、公共の場所の意識が変わり、繋がりができていく気がしている。
公共空間をどう考えるかは、根源的なテーマだと思う。本日は第2回目だが、第3回は、「エリア開発から東京のアイデンティティを考える」をテーマに議論する。