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プレセミナー第1回

「建築と都市史」から考える東京のアイデンティティ

2018/7/3(火)開催
六本木アカデミーヒルズ タワーホール
登壇者
市川 宏雄
モデレーター市川 宏雄
明治大学 名誉教授
帝京大学 特任教授
森記念財団 理事
黒田 涼
パネリスト黒田 涼
作家
江戸歩き案内人
伊藤 毅
パネリスト伊藤 毅
建築史家
青山学院大学 教授

市川

「花の都パリ」、「ミュージカルのニューヨーク」といったイメージを他都市がもつ一方、東京にはそうした確固たる印象が欠けている。本日は東京のアイデンティティをテーマにそれをどう築いていくかを考えたい。東京の過去から現在までを辿り、その延長線上にある未来の東京の姿を模索していきたい。

プレゼンテーション1:
『街歩きから見た江戸・東京』

黒田

京都には神社仏閣などのはっきりとした文化遺跡が現存しており、観光案内板も整備されているため、歴史の痕跡を辿ることが容易だが、東京の場合は、江戸以降あるいは江戸以前の史跡を容易にはみつけられない。しかし、よく見てみると、東京にも歴史の痕跡は数多く残っている。歴史の痕跡には3つの種類がある。一つ目は普段から目にする大きなものだが見過ごしがちなもの。例えば飯田橋駅の脇にある、江戸城の城門のやぐら台が挙げられる。二つ目はちょっと見ただけでは、一体何なのかわからないもの。秋葉原むかいの岩本町にある棒状の石は、一見しただけでは何かよく分からないが、よく調べてみると、かつて舟で物資を運んでいた時代の名残で、舟の綱を結びつけるのに使われていたものだということが分かる。そして三つ目は街の形自体に歴史が残っているもの。日本橋と神田の間にある今川橋交差点の脇の街路は、「龍閑川(りゅうかんがわ)」という火除けのために掘られた川の名残である。舟で物資を運ぶための流通路として使われたが、舟運から陸運への移り変わりに伴い、戦後に埋められた。このように江戸の街の歴史の痕跡は東京の中に数限りなくある。街歩きで歴史の痕跡をみると、今の東京、ひいては日本の在り方に密接にかかわっていることがわかる。

首都の歴史から国自体の歴史がわかる、という都市は意外に少なく、その点でも東京は珍しい。400年前から政治、経済、文化の中心であったことが、東京の大きな特色だと思う。明治維新後の文明開化、殖産興業があって工業化や近代化が進んでいくが、日本は驚くほどの速度で近代化をなしとげいった。そのパワーの源は江戸東京にあったのだと街歩きをしていて実感している。特筆すべきことは、大名屋敷が広い面積であちらこちらに存在していたことである。首都の中心に江戸城のような巨大な城がある街は世界に類をみず、その周辺に巨大な敷地が点在している構造も珍しい。多くの場合、役所や学校、近代的な工場などは旧市街ではなく新市街につくるが、それには多大なコストと時間がかかる。東京は大名屋敷があったためそうした問題を一気に解決できた。土地問題や鉄道開通において、東京は江戸時代のインフラをそのまま利用している。

欧米では河川を中心に街が広がることがあるが、東西の地形がドラスティックに異なる東京のような発展は類をみない。地形の違いに加え、新宿、銀座などの各地域の特徴が際立っている。場所によって色々な楽しみがあり、川を渡れば風景や街並みが変わるなど、バラエティに富んだ街だ。それが東京の特色ではないかと思う。

プレゼンテーション2:
『江戸から東京へ:各時代のまちづくり思想とその特色』

伊藤

都市のアイデンティティを考えるにあたり、まずアイデンティティとは何かを考えるべきだと思う。辞書の定義から以下の3つを見出した。
1 同一性 AはAである。東京は東京である。
2 個人から発生し、共同体、国家のなどのスケールの問題。
3 連続性、不変性などの時間の中で確立されて、持続していくこと。

では都市のアイデンティティをどう捉えるべきかというと、都市にもともと備わったアプリオリ(先天的)な性格ではなく、歴史的に、時間をかけて獲得された個性や独自性である。一度つくられると都市にとってかけがえのないものになり、それを失うことは、かなり根元的なものを失うことになる。ケヴィン・リンチが「都市のイメージにはパーソナル・イメージとグループ・イメージと、そしてパブリック・イメージがある」と指摘するように、同様にアイデンティティにもそうしたスケールがある。都市のアイデンティティは、その歴史の中で形成・確立されたものであり、それが比較的明瞭に現れるのが建築や都市計画だ。

江戸、東京と2つの都市名があることは重要で、ここには三つの立場があると考えている。一つ目は「江戸から東京へ」という立場、二つ目は「江戸 対 東京」という立場、そして三つ目は「江戸は東京に含まれている、すなわち東京の中に江戸がある」とする立場だ。1603年の開府以来、江戸が大幅に変わっていった。幕府の拠点として、一気に求心性を帯びていた。日本橋を起点とした5つの街道ができ、日比谷の入江が埋め立てられるなど、1603年から1657年にかけて江戸が急激に巨大都市化した。1657年の明暦の大火をきっかけに、江戸はさらに巨大化の道をたどる。そして幕末は、都市の輪郭も失い、首都圏江戸と呼んでいいような場所になっていった。そこで江戸の都市文化が成熟し、盛り場が繁栄し、「江戸っ子」という言葉が登場した。

明治の東京は、はじめに天皇のお膝元の都市としての「帝都」、やがて日本の首都としての「近代国家の首都」、それに続く「都市の充実」という3段階に分けられる。東京が帝都であり、祝祭的な場所であるという先行研究の指摘は、近代化の光的な部分をとらえたものである。つまり近代化の「光」論だ。同時に、近代化はいろいろなものをゆがませ、公害問題などをもたらした。近代化のゆがみを扱う研究や、祝祭がいわば都市・民衆の世界にある場合には「盛り場論」になり、加えて日常と都市・民衆を扱う「庶民生活史」など、様々な解釈が可能だ。

東京の現代都市化は1960年代以降におきた。建築分野ではアーバンデザインが流行し、民間のオフィスビルが都市において重要なポジションを占めるようになった。こうした都市史を踏まえて未来の東京を考えると、やがて都市は島嶼化(とうしょか)し、島をつくっていくだろう。日本橋や銀座といった各地域がアーキペラゴ(群島)を形成していく。アイデンティティの複数化が大前提となり、アイデンティティ群をどのように大きなコンセプトにつないでいくかが今の東京に求められている。東京は具体的な建築ではなく、イメージで形成された部分が大きいため、イメージ上の東京と実態としての東京の乖離が顕著だと思う。東京のアイデンティティはまだ不確かで、脆弱な基盤に立っている。これからの東京のアイデンティティとは、島状に点在するものを、どうつなぎ、統合していくかということだ。

ディスカッション

市川

ロンドンやニューヨーク、パリと比較すると、東京だけ非常にランドマークの存在認識が低い。他都市はそれぞれ文化的な特徴を持っているが、東京は異なっており、文化的イメージも低いと思うが、どのようにお考えか?

黒田

文化的イメージが弱く、かつシンボルやランドマークがないのが東京の弱点ではないか。江戸城の天守が再建できれば、世界に目立つランドマークになるはずだ。

市川

経済合理性にもとづいてまちづくりを行っていけば、都市が均質化していくのは必然だと思うが、その流れを変えることは現実的に可能なのだろうか?

伊藤

経済合理主義に基づいて都市をつくっていけば、同じようなものができるのは自明だ。だがそれが継続することはあり得ないと考えている。長いスパンで見れば、絶対に変化していく。やがて皆が似たようなことを大勢でやっていると自覚し、それは経済合理的でないと気づくだろう。その段階でもう一度合理性の再定義が行われる。つまり一見都市は均質化しているように見えるが、長期的な視点で考えがアウフヘーベン(止揚)されていく段階が来る。だからこそ、経済合理性を捨ててまちづくりをしろと言うのは、あまり現実的ではない。その中から多様なものをつくっていく方法があり得ると思う。ただし短期間では難しく、100年ぐらいの期間で考えなくてはならない。今の都市づくりは長期的には考えていないため、1世紀先のことを想像しながらつくれるかどうかが問われている。

市川

東京は確かに経済合理性に基づいた都市をつくっているが、日本橋と東京駅周辺、六本木の各地域でユニークな開発が起き始めている。このまま進めば10年後の東京は単なる近代都市ではなく、何か違う要素があるのではないかと期待している。

黒田

突然街外れにカフェやレストランが開店するなど、東京では常にいろいろなことが起きる。生来東京にはいろいろな芽が出てくる素質が備わっている。経済合理性を追求しつつも昨今の企業は差別化に懸命に取り組んでいるように思う。江戸・東京の街は差別化の芽を非常に多く有しているので、それを掘り出していくと、本来街づくりに100年かかるところが50年で済むのではないだろうか。

市川

水辺というのは、都市にとってなくてはならない魅力だが、東京に川が復活したら、街にどのような変化をもたらすと考えられるか?

黒田

昨今、SDGs(Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標))が大きく取り上げられているが、日本が縮小するなか、東京がメンテナンスを軽くし、持続可能性を高めることは非常に重要だと思う。そのうえで河川の存在は重要だ。川筋の復活により街の往来が容易になり、気温が下がり、にぎわいが生まれ、景観も改善される。

市川

江戸の地割を残すと、防災上問題があると思う一方で、風情のある路地が失われることへの抵抗感もある。このジレンマを如何に解消すべきか?

伊藤

建築基準法上では、新しく建てられない建築、敷地が東京にはたくさんある。江戸時代の地割りを残せば、そのまま江戸の街並みが残るのかというと、必ずしもそうではないが、日本人は土地の所有意識が強いため、意外と残っていく。むしろそれを束ねるほうが難しく、再開発は困難を極めるのが実情で、地割りのほうが優先的に残っていくのではないか。

黒田

墨田区や世田谷区といった住宅密集地域は、実は明治以降あるいは震災以降に誕生したので、江戸の地割りではない。防災のために道幅の拡張ばかりやっていたら、街の復活には何百年もかかるだろう。短期間で行うならば、コミュニティづくりをし、未然に火事を防ぐことに励むべきだと思う。

市川

最後に東京のアイデンティティづくりに向けて、ひと言お願いしたい。

黒田

東京には江戸開府以来400年の蓄積があるので、今見えるところだけを見るのではなく、昔からのものを掘り起こして、ほかの都市にない持ち味を見つけていくことが重要だと思う。個人的にはランドマークとして江戸城天守を再建したい。大勢で仰ぎ見て、思いを共有することが大切だ。

伊藤

都市と建築の歴史を専門にしているため、やはりそれを根底にアイデンティティを考えなくてはならないと思う。都市が島嶼化し、群島に分かれていくのは、必然なのだが、その意味をもう一度歴史的に考えなくてはならない。深掘りすることは遠いようで実は近道なのだと思う。

市川

これからの東京を考えるとき、東京が永続性を有しているかが問題となってくる。そしてその永続性をどうやって東京に備え付けるかもまた、我々は考えていかなくてはならない。