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ICF 2015 都市開発セッション1

東京:グローバル化における都市のアイデンティティ

2015年10月15日(木)開催
六本木アカデミーヒルズ タワーホール
登壇者
市川 宏雄
モデレーター市川 宏雄
明治大学専門職大学院長
森記念財団理事
シャロン・ズーキン
パネリストシャロン・ズーキン
ニューヨーク市立大学ブルックリン校教授
デビッド・マロット
パネリストデビッド・マロット
コーン・ペダーセン・フォックス・アソシエイツ(KPF)プリンシパル
高層ビル・都市居住協議会 議長
吉見俊哉
パネリスト吉見俊哉
東京大学大学院情報学環教授

イントロダクション:都市のアイデンティティとは?

市川

都市開発セッション1のテーマは、東京にアイデンティティはあるのか、また東京のアイデンティティとは何かということである。
世界の主要都市を見てみると、現代においてはどの都市も超高層ビルが都市の景観に大きな影響を与えていることがわかる。バンコク、マニラ、北京、そしてソウルなどの例に見られるように現在ではどの都市も超高層が都心を覆いつくし始めている。ジャカルタやクアラルンプールの場合、都市の象徴的なタワーが、他の都市との差異を形づくっている。超高層が多いイメージのある香港では、国際金融中心(IFC)や環球貿易広場(ICC)といった高さ400メートル以上のビルが建ち、さらなる超高層化が進んでいる。そして、今このような動きは東京でも起きており、今後10年、東京ではさらに超高層ビルが増えていくことが予定されている。

東京:グローバル化における都市のアイデンティティ

東京都心の都市開発
まず、大手町・丸の内・有楽町エリアでは、今後10年間でさらに超高層化が進む。大手町では連鎖型再開発という形の手法がとられており、フェーズごとに順番にビルが建て替わっている。日本橋や八重洲に近い東京駅北側の常盤橋地区には約390メートルの超高層ビルが建つことが決定している。また、虎ノ門では、2014年に竣工した虎ノ門ヒルズの両側にさらに2棟の超高層が建つ予定である。渋谷でも、渋谷駅の改造を含む大規模な再開発が進められている。

このように、東京の各エリアで開発が進み、都心はますます超高層化が進むが、世界の都市でも同様の動きが進んでいる。その中で、東京ではどのように都市の個性をつくっていくのか、いったい東京のアイデンティティとは何なのか、という根本的な議論を行う必要がある。都市開発セッション1では、はニューヨークからシャロン・ズーキン教授、デビッド・マロット氏、東京からは吉見俊哉教授にお越しいただき、社会学や建築学といったそれぞれの視点から東京のアイデンティティをどう考えるかについてお話いただく。

東京のアイデンティティとは?

「オーセンティック」な都市の複雑性と矛盾

ズーキン

オーセンティシティとは何か?
オーセンティシティ(authenticity、本物らしさ)という言葉は、2000年代初頭から特に広告分野で用いられてきた。それは製品や都市が持つ「真の本質」を指し示す表現である。私は現代の都市における再開発戦略の中で生じている喪失感を理解するためにこの用語を用いている。しかしながら、この単語は矛盾した複数の意味を持っている。オーセンティシティは、まず一方で、文化というものはかなり古いものだ、という考え方を含んでいる。他方、この言葉は輝くばかりに新しく、だれも見たことのない文化的生産物を意味することもある。また、この言葉の古い意味には、オーセンティックなものというのは集団の文化から生まれてくるのだという考え方がある。他方、一人の天才の仕事をオーセンティックだと呼ぶこともある。さらに、芸術の専門家がオーセンティシティという用語を用いるとき、彼らが意味するのは、客観的な基準によって証明することのできる何かである。しかし、われわれが日常的にオーセンティシティという言葉を用いるときに意味するのは、はっきりと示すことのできないわれわれの主観的な感覚のことである。これらの矛盾は、いずれもこのオーセンティシティという言葉の一部であって、その矛盾を消し去ることはできない。

社会を分析したり、都市を計画したりする者にとって厄介なのは、都市は内側から見るのと、外側から見るのとで異なった見え方をするということである。外側から見るとき、人は批判的距離を保つことができるので、オーセンティシティという用語を用いるのはたやすいことである。しかし、オーセンティックな都市の内側に住んでいる者にとっては、自分の生活そのものを語るのに、オーセンティシティという言葉を使う必要はない。都市の中の地域や地区を歩いてみると、どこへ行っても同じものばかりがみえるということがある。たとえば、屋外の歩道の上で座っている住民を見かけたとする。あなたはこれを、何か特別でオーセンティックな風景だと呼ぶだろうか。あるいは、それは普通の風景だと考えるだろうか。

ニューヨークで私が感銘することは、モノの生産、日常の繰り返し、そして異なる文化の境界が守られる中に、生きたオーセンティシティの基礎があることである。これらは、われわれが都市の画一化に対して抗うために重要な3つの条件だと考える。しかし、今日、世界のどこでも見られるように、企業の投資、観光客、そして名声を求めて、都市の間の競争が続いており、そのために再開発は画一化したやり方で行われてしまっている。私は、一つの「グローバルなツールキット」が流通することによって、開発戦略の画一化が生じていることを指摘したい。そこでは、異なる場所で人々が出会い、言葉を交わしながら、同じようなアイデアをやりとりするのである。そうした例は、高層の複合開発やウォーター・フロント開発にも見ることができるし、特定の文化的シンボルのグローバルな普及や世界的なメガ・イベントのなかにも見ることができる。残念ながら、現代のオリンピックはそのような画一されたメガ・イベントの一つになってしまった。

再開発戦略のグローバルなツールキットは、イメージや嗜好性といったソフトな力だけでなく、ランキングやブランディングのメカニズムというどちらかといえばハードな力にも基づいている。これらは都市の間に過熱した競争を生み出す。そして、自らの都市がどのようにあるべきかについて考えるにあたって、だれもが「最もランキングが高い」都市にその答えを見出そうとする状況をもたらしてしまうのである。このことは、極度な画一化を引き起こし、オーセンティシティの健全ならざる喪失をもたらしてしまうのである。

シャロン・ズーキン

東京のオーセンティシティ
外部者という立場ではあるが、東京におけるオーセンティックなものについて少し話したい。私は〔街を訪ねるとき〕建物の様式、建物の利用者、そしてその利用のされ方について観察し、過去と現在の継続性に目を向ける。東京に現存する歴史的な、低層の建物を残すことが大変重要だと考えている。下北沢では、第二次大戦後の闇市でできた商店街は、再開発のために取り壊されてしまった。また神楽坂の街並みは、レストランの看板やかなり低層の住宅によってさまざまな地区があるように見える。地域の商店街は、大規模な商店、チェーン店、そしてオンライン・ショップとの厳しい競争に直面しているが、ローカルなアイデンティティを守るためには重要な存在である。ローカルなアイデンティティや連続性の非常に強い感覚を生み出すのは、まさにこうした小さな店や、そこにいるオーナーや店員たちである。低層であるということはヒューマン・スケールだということでもある。

新しく街を建設するにあたって、われわれは対面的な関係のための空間を保存するべきである。東京では、小さな商店にもグローバルなコカ・コーラの自動販売機が置かれているように、ローカルな文化が完全に外に閉ざされてはいない。最近出版された『グローバルな都市、ローカルな街路』という本のために、以前、東京で調査を行ったが、そのときの協力者は「グローバル化されたオーセンティシティ」という用語を作り出した。これは、東京ではローカルなものはつねにグローバルなものであるということを表現するものだった。世界のいずこにおいても、グローバルなものは人工的な環境に組み入れられているので、われわれはグローバルなものも常にローカル化されているということを知っている。しかし、世界の都市専門家にとって東京が示しているのは、ローカルなオーセンティシティに関するグローバル化された意味や感覚を生み出すことができるということである。物質的な生産、文化の境界、そして新しいものと古いもの、「低級な」ものと「高級な」ものの並置の維持にしっかりと根差しながら、このような独自の意味や感覚を作り続けていかなくてはならない。

オーセンティック

グローバル・コンテクストにおけるアイデンティティの生成

マロット

建築におけるグローバリゼーションという状況に取り組むにあたって、われわれは世界中の都市が互いに同じような姿をし始めているという問題に直面している。今日、われわれは世界中から資材を集めてくることができる。そして、建築家やデべロッパーは世界中で建物をデザインし、建設することができるのである。それでは、グローバリゼーションの時代において、われわれはどのようにユニークさを維持することができるのだろうか。ここで、私がこれまでに携わった4つのプロジェクト、上海環球金融中心(Shanghai World Financial Center, SWFC)、ドバイにおけるあるランドマーク・タワー、ムンバイの高層住宅、そして東京における未来都市構想を簡単に紹介したい。

デビッド・マロット

上海:上海環球金融中心
コーン・ペダーセン・フォックス・アソシエイツ(KPF)がSWFCのデザインを開始したとき、ある種の〔ローカルな〕場所性を生み出しながらも、「ワールド・ファイナンシャル・タワー」という〔グローバルな〕名前にふさわしい建物をどのように設計するかということが課題となった。この建物には「禅」のような単純さから醸される一種のアジア性がある。私の師であり、このデザインを作り出したウィリアム・ペダーセン(William Pedersen)は、これを二つの幾何学的要素の交差形と呼んでいる。つまり、大地を表す正方形と、空を表す円が交わっているのである。超高層ビルを大地と空の懸け橋と捉えれば、このデザインをきわめて詩的な表現で説明することができる。高層ビルが地面と接するところに街路やパブリック・スペースが生み出されることはよく論じられるとおりだが、このビルの特別なところは、それが空と接する仕方である。そこで低い都市(low city)は高い都市(high city)となるのである。それは、人々の経験を、建物の頂上に引き上げるものである。ビルは開口部の頂上で、空に走る道、空に懸かる橋となるのである。我々が行ったのは、非常に閉塞し、冷たく、硬いものと考えられていた高層ビルに、曲線を与え、それを外に向けて開くことであった。

ドバイ
高層建築が持ついくつかの要素は、「密度」と結びつけられて考えられている。密度は我々の都市が成長するためには必要なものだが、高層ビルには「虚勢」(vanity)と呼ぶべき要素もある。たとえば、クジャクの体は実際には小さいが、羽を広げると大きくみえる。この羽は「虚勢」にあたる部分である。高層ビル・都市居住評議会(Council on Tall Buildings and Urban Habitat, CTBUH)では、実際に建物のどれだけの部分が使用可能で、どれだけが「クジャクの羽」なのかということを調査し、建物の虚勢の高さを実際に計測した。この結果、高さという点で最も多くの虚勢が見られた場所はドバイであった。私たちはこのような文脈において、世界で最も高層の商業建築のデザインを提案した。そこでは、空に浮かぶ水平の環が都市全体に向かって広がるような形態を生み出すことによって、SWFCと同様に、人間の経験を建物の頂点に引き上げようとした。これは、きわめてトップ・ダウンの社会においてボトム・アップの建物を生み出そうと試みた例である。これこそ、その土地の中から生み出されながらも、その場所があるべき姿を目指そうとするデザインであることがはっきりとおわかり頂けるだろう。

ムンバイ
インドは、シンボル(象徴)が大きな重要性を持ち、自然が神聖なものとされる、魅惑的な場所である。ムンバイにおける新たなランドマーク・ビルのデザインを構想したとき、われわれはその場所にふさわしいものは何か、つまりその自然への愛にふさわしいものは何かということを問うた。私は、人が見たいと望むのは、都市の姿の可能性であると考えている。ゆえに、閉じた建物ではなく、開かれた建物を作り、呼吸をさせるというアイデアが生まれた。このことはインドにおける高所得者向けの高層住宅においてはかなり特異な考え方であった。というのも、ふつう住民はエレベーターを降りると、近隣住民と出会うことなく、すぐに自らの部屋に入ろうとするからである。われわれは建物の構造の中心に共用スペースをつくり、そこに光と風が入ってくるような建物を提案した。高層ビルに住んでいても、建物のまさに中心において自然の存在を感じられるようにしたのである。

ネクスト東京
東京でわれわれに与えられたのは、東京湾の両岸を結ぶアクアラインの基礎の上に高層建築を建てるという課題であった。われわれはこれを「ネクスト東京」(Next Tokyo)と呼んでいる。これは東京湾に広がり、レジリエントな障壁としても機能する未来都市である。もし東京湾に津波がきたとしても、この建物は津波の勢いを弱める防波堤やダムとなる。この考えは、故森稔氏とコンパクトな都市について行った議論にも基づいている。われわれは高層建築が単に高さのために存在しているのではなく、持続可能な未来を実現するために存在しているのだという信念を共有していた。都市のスプロールは、他の多くの都市と同様、東京でも起こっている。最も顕著なのはロサンゼルスで、そこでは多くの土地が交通のために使われている。資源の無駄、エネルギーの無駄、通勤における時間とエネルギーの無駄を減らそうと考えれば、なぜ森氏がコンパクトな都市を目指していたのかがわかる。それは生活する空間や自然のための空間を生み出すために、都市を小さくし、垂直的な密度を高める、という考え方である。ネクスト東京は、インフラの上に建てることでこの考え方を発展させたものである。私はこれをコンパクトで接続された都市と呼んでいる。

ネクスト東京は東京湾の上にありながら、新たな土地への可能性を生み出すものである。湾岸上の環の形をした構造がその上の建物を支える弾力性のある障壁となり、時間とともに湾岸の生態系を変化させる。その環は、火山の環礁のように生活、つまり新鮮な水、農業、社会、文化を支えはじめる。そしてこのプロジェクトは一種の日本性を帯びる。というのも、海の上に新たな土地を生みだすこのメカニズムは、火山から生まれた島としての日本の成り立ちの象徴だからである。ネクスト東京は、たしかに見かけの上では日本的に見えないかもしれないが、日本的性質の本質を擁しているのである。

高層建築とそのDNAについて考えるとき、建築の役割はその中で行われる生活を支えることだと考える。私が訴えたいことは、高い建物をより多孔的にし、自然や社会へと開いていくことである。都市のユニークさを生み出すものは究極的に何なのだろうか?という問いに対して、私は「われわれ、すべての人々」であると答えたい。つまり、場所に固有のアイデンティティをもたらすのは、人間なのである。

ネクスト東京

ポスト2020の東京ビジョン

吉見

東京文化資源区構想
東京文化資源区とは、秋葉原、神保町、神田、湯島、本郷、上野、谷中、根津、そして千駄木を含む半径2km圏の東京都心北地区に集積される文化資源を掘り起こし、新しい地域をつくっていこうという構想である。谷中、根津、そして千駄木の生活文化、上野の美術館や芸術、東京大学をはじめとする本郷の学術、そして湯島の湯島聖堂や湯島天神、神保町の書店、そして秋葉原のアニメ・漫画の文化。あまり知られていないことであるが、実はこれらは全て同じ地域にある。

2020年東京オリンピックに向けた課題
東京は2020年にオリンピック開催を控えているが、ロンドン五輪と比較すると、具体的なビジョンが描けていないことが問題である。原因は1964年東京オリンピックの価値観から抜け出せていないことにある。高度成長期に開催された1964年の東京オリンピックは、速く、強く成長することが中核的なテーマであった。しかし、2020年の東京は右肩上がりではなく、成熟社会となっている。そのときには私たちが求めるべき価値は、もはや速く、強く成長するということではなく、愉しく、末永く、リサイクルするというものになっていくはずである。そのために、一元的ではなく多様な価値へ目を向けなくてはならない。重要なことは、資源の再利用による価値創造の中で都市としての個性を出していくということである。

吉見俊哉

東京都心北地区の文化
1964年のオリンピックを機会に、東京の中心は北から南に移ったが、そのときに打ち捨てられた都心北地区に、東京の文化施設は集中している。どうすれば東京北地域の文化を取り戻すことができるのだろうか。私は、たとえば神田や湯島一帯にある古いビルのリノベーション・コンペや、文化資源活用人材を育成するソーシャル・プロジェクト・スクールをつくることを計画しており、さらには2020年に東京ビエンナーレをこの地区で行うことを考えている。また、東京大学、一橋大学、東京外国語大学、学習院大学、また多くの私立大学が設立されたのは神保町、神田の地域であった。つまり、日本の大学文化はほとんど神保町と神田から発生した。現在も多くの大学が存在するこの地域で大学を横につなぐことにより、大学が地域に実践的に貢献する仕組みをつくりたいと考えている。私の考える街づくりの仕組みは、具体的なソフトのプロジェクトをまず計画し、そのプロジェクトを実現するために必要となるハードをつくる、といった順番である。

かつて江戸時代に東京の中心であった都心北地域の文化を再度掘り起こし、東京の深さを世界に見える形にしていくことが大切なのではないだろうか。この地区で地下に眠っている文化的な蓄積を掘り起こせば、それは東京のアイデンティティのひとつの骨格になると考えている。

成長の五輪から成熟の五輪へ

パネルディスカッション

市川

東京のエリアの多様性
「東京のアイデンティティは何か」という問いかけに対して私は、それは「歴史的に培われたエリアの多様性(diversity)である」と申し上げたい。丸の内、浅草、銀座、日本橋、お台場、品川、六本木、渋谷、そして新宿など、東京には中心となるさまざまなエリアが存在する。東京ほど多くの中心をもつ都市は他にない。この東京のエリアの多様性の背景には、都市圏3700万人という世界に類のない巨大な人口がある。東京ではこれだけ多くの人々の活動の集積としてまちをつくってきたという歴史がある。

例えば、丸の内は明治期において、江戸から東京への近代化のショーケースであった。一丁倫敦(いっちょうろんどん)という言葉の通り、東京の一角にロンドンのロンバード街を模倣する地区をつくった。ここは現在も東京の業務中心地である。また、日本橋は江戸時代の経済の中心を担った場所である。金座が置かれ、その周辺には問屋が軒を連ねた。そして六本木は、かつて軍隊の街であった。戦前、日本の軍事施設が置かれた六本木は、終戦に伴いアメリカ軍の町に一変し、外国人向けの商店や飲食店ができるようになった。渋谷は、明治時代の山手線開業を契機に、交通の結節点として発展し、現在は若者文化の中心地となっている。

このように、様々なエリアの多様性をもつ東京であるが、今後はどうなっていくのだろうか。東京のアイデンティティを将来の都市開発プロジェクトの中に、どう取り込むことができるのだろうか。パネルディスカッションでは、この点について議論したい。

市川

多様性(ダイバーシティ)というテーマは、いま世界の非常に多くの場で議論されているが、その解釈はさまざまである。人種や民族の多様性という視点では、東京は世界で最も遅れている都市であり、むしろ均一化している社会である。東京の空間の多様性について、どのようにお考えか、ご意見を伺いたい。

マロット

東京にはさまざまな規模や歴史をもった建物が素晴らしい形で併存している。たとえば、六本木ヒルズのような大きな建物がラーメン屋や古い神社のすぐそばに立っている。そのことが東京を魅力的な場所にしているのである。また、東京では、カオスがあるべきところに秩序があるという、一つの素晴らしいパラドクス〔逆説〕が存在する。東京の道路はランダムなところがあるが、交通はよく管理されている。

東京には何度も来ているが、私はここに来るたびにますます街が興味深くなっており、よりグローバルになりつつあると感じている。しかしながら、日本は根本的な選択を迫られていると思う。つまり、人口減少という課題に対処し、グローバルな大国でありつづけるのか、あるいは、スイスのようにグローバルなイノベーションや大国としての最前線にはなくとも、きわめて高い生活の質を確保するのか、ということである。

パネルディスカッション

吉見

ダイバーシティという言葉から、私は「スイミー」という絵本のことを思い浮かべた。スイミーという小さい魚が、自分たちを大きく見せるためにたくさん集まり、大きな魚を撃退するというストーリーであるが、東京のダイバーシティはこれに少し似ている。

東京は空間的なダイバーシティについては極めて富んだ都市である。東京ほど、多くの小さな美術館や博物館やレストランが都心部に集合している都市はない。スイミーの話のように、小さな、非常にレベルの高いものが繋がり都市をつくるといった潜在的な可能性を持っている。一方で東京の社会的、言語的、文化的なダイバーシティは、ロンドンやニューヨークなどのグローバル都市と比較すると、極めて低い。ならば、空間的ダイバーシティと、社会的ダイバーシティをどうつなげることができるのかということが、われわれが未来の都市をつくる主体として考えるときに議論すべき重要な点なのではないだろうか。

ズーキン

「深く掘る」という考え方は、都市がいくつもの層をなして築かれているという考えを表現するものである。ときに、外から来るものはそこに隠された古い層を見ることができない。しかし、このような層は存在し、その上にかかる層をある程度は形作るのである。われわれは歴史的意味でも、また比喩的な意味でも、都市が垂直に成長することを知っている。他方、われわれは都市にますます多くの機能が与えられていることも知っている。ゆえに、より多くの人々が都市にやってきて、そのためにある種の活動が衰退したり、成長したりするのである。それは、都市の水平的な成長である。多様性というのは、この都市の垂直・水平の成長の論理的な結果なのである。現在、エスニックな多様性はますます重要となっている。その意味で、一つの逆説がまた成立する。つまり、多様性がオーセンティシティを保つのに役立つということである。しかしながら、外部からきた人間にとってこの都市がより多様になるためにどうすればいいのかについて、あれこれと処方を与えるのは困難である。おそらくわれわれの専門の範囲を超えた問題に、重要なカギが隠されているのだろう。