院長
森記念財団 理事
2014年10月9日(木)に開催された、イノベーティブ・シティ・フォーラム2014は、「20年後の私たちはどのように生きるのか?」という問いを持って、「都市とライフスタイルの未来」について議論する開かれた国際会議である。森記念財団都市戦略研究所主催の都市開発セッションでは、「10年後のグローバル都市はどのような姿になっているのだろうか?」というテーマで、ロンドン、ニューヨーク、パリおよび東京の都市計画や建築の専門家たちが、自らの都市におけるプロジェクトや政策を具体的に解説しながら、2025年のグローバル都市のヴィジョンについて活発な議論を展開した。以下に、当日のセッション内容を紹介する。
現在、ロンドンやニューヨーク、パリでは多くの開発計画が進行中であり、今後10年、15年のうちに大きくその姿を変えようとしている。ロンドンではテムズ川沿いのナイン・エルムスやキングス・クロスでの大規模な複合開発、ロイヤル・ドックではロンドン・シティ空港を中心とする大規模開発が計画されている。ニューヨークにおいても、ハドソン・ヤーズ、ワールド・トレード・センター跡地開発、ウィリアムズバーグの工場跡地での大規模再開発などが計画され、パリにおいてもグラン・パリ計画によって、都市圏の活性化が構想されている。世界のライバル都市が大きく変貌を遂げようとしている中、東京は今から10年後の2025年に向けてどのような将来像を描いていくべきなのか考えてみたい。
東京の将来像を構想するにあたり、まずは森記念財団都市戦略研究所が行った3つの調査「Global Power City Index (GPCI)」、「Global Power Inner City Index (GPICI)」、「Global Power Metropolitan Area Index (GPMAI)」を用いて東京の現状分析を試みた。GPCIは、都市の総合力ランキングであり、世界40都市を6つの機能(経済、研究・開発、文化・交流、居住、環境、交通・アクセス)を構成する70指標で評価している。GPICIは、都心の総合力ランキングであり、世界の主要8都市の都心から5km圏および10km圏における都市の力を、6つのプロパティ(活力、文化、交流、高級、アメニティ、モビリティ)という観点で分析・評価している。GPMAIは、世界主要10都市の都市圏(都心から50km圏内)の持つ力を5つの機能(Vitality, Intelligence, Interactivity, Network, and Sustainability)および3つのダイナミズム(Stock, Flow, and Growth)の観点で分析・評価したものである。
結論としては、東京は総合力という観点では、経済や研究・開発分野で強みを有するものの、文化・交流および交通・アクセスの「国際交通ネットワーク」がトップ3都市(ロンドン、ニューヨーク、パリ)と比較すると相対的に弱い。一方、都心の力を見てみると、東京都心部は世界都市の中でも特に高度な集積力を有していることが分かった。また、都市圏の力としては、東京はストックの評価は高いものの、フローと成長(グロース)の評価はそれほど高くない。これらの現状を踏まえて、今後の東京の都市戦略を考えていく必要がある。
今後の都市戦略を考えるにあたり、まず重要なことは、日本および東京の人口構造が今後どのように変化していくのかという予測である。日本の人口は、2035年頃には65歳以上の高齢者が若者の倍を占めると予測されている。しかし、現在の日本全体の人口が減少する一方で、東京圏の人口は2025年頃までは増加するとみられている。その際に重要なことは、日本の人口の約7割は東京から福岡までを結ぶ太平洋ベルトを含んだ西日本国土軸上に集中しており、そして2040年頃には約8割がそこに集中すると予測されていることである。その要に東京が存在していることから、東京に求められる役割は自ずと決まってくる。
今後10年、15年間で東京は大きな変貌を遂げることになるが、その中でも大きな影響を与えるのが2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会(以下、東京五輪)である。東京五輪開催時およびその後に向けて現在、羽田と成田、両空港の発着回数の増加が検討されている。五輪後には110万回まで増やすことが検討されているが、そこまでしてはじめてロンドンやニューヨークに比肩することができる。しかし、それを実現するためには滑走路の新設だけでなく、これまで許可されなかった東京都心の上空飛行の解禁が必要となる。すなわち、現在“ない”ことが起こり得るということを我々は想定しておかなければならない。
東京オリンピック関連の開発だけでなく、今後、東京都心のいくつかのエリアも大きく変わっていく。大手町・丸の内・有楽町エリアにおいては、連鎖型再開発計画や東京駅前広場の改良計画などが進められ、日本橋エリアにおいては、江戸の街並みの雰囲気を復活させながらエリアを変えていこうとしている。虎ノ門・六本木エリアでも、虎ノ門ヒルズ周辺で開発計画があり、バスターミナルや地下鉄新駅などの計画が存在している。渋谷では駅ビル改良工事に合わせた大規模な開発計画が現在進行中である。また、品川の車両基地跡地には新たなJR山手線の駅が開業予定である。
東京はこれまで多心型都市構造を目指した都市政策をとってきた。しかし、2001年に東京都が策定した環状メガロポリス構造に沿う形で現在、エリア開発が進行しており、将来的には都心部における集積力が高まり、その流れのなかで東京が大きく変わってくる。しかし、そこで描き出される東京都心部の姿は、かつてのような過密の弊害に悩まされた東京ではなく、自然に満ち溢れ、様々な機能が集積した魅力的な東京都心部の姿であると考えている。
現在のロンドンの都市政策をひとことで表すとすれば、「集約化」(intensification)がおそらく最も適した用語だろう。ロンドンは成長を続けているグローバル都市である。しかし、かなり前に、これ以上の外延化をしないことを決定したため、ロンドンは基本的には土地やインフラを再利用しながら、より大きく、より高密に、そしてより集約的に発展することとなった。
ロンドンでは、開発が可能で将来性のある土地は東部に位置しており、そこには古い工場や造船所などが存在している。30年前にこれらの施設は使用されなくなり、さびれてしまった。さらにその東側でも、都市の密度は低く、土壌が汚染され、インフラが老朽化している地域が今でも存在する。2012年のロンドン・オリンピック招致活動は、まさにオリンピックを触媒として、このような開発が困難なエリアに投資と関心を呼び込むことを目的として行われたのだ。
ロンドン・オリンピックに関連して3つのマスタープランがあった。一つめは、オリンピック競技施設の開発誘導のためのマスタープラン。デザインや持続可能性といった点に関して、非常に慎重に戦略が検討された。二つめは、まさに最近計画の遂行が完了したばかりの大会後への移行プロセスに関するマスタープラン。長期的な開発基盤づくりのために、オリンピック・パーク全体を2年間にわたって閉鎖し、施設の改修や解体などを行った。三つめは、ロンドン全体にとって困難な課題への取り組みに関するマスタープランである。オリンピック・パークは大会会場として建設されたわけだが、大会終了後には必要がなくなってしまう。そこで、オリンピック・パークは都市の成長のために有機的な役割を果たすことが求められている。
オリンピック・パークには6つの非常にシンプルな空間戦略があった。一つめは、大会の記憶を要素として残しながら、将来の都市計画に基本構造を与えることであった。二つめは、ロンドンの既存の集住パターンを反映した住区を意図的に構築することであった。三つめは、道路ネットワークを構築し、周辺との接続性を高めることであり、それもやはり、ロンドンの都市構造に基づいたものであった。四つめは、オープン・スペースを利用すること。五つめは、水を利用すること。そして六つめは、時が経過しても変化に対応する能力を計画そのものに組み込みながら、複雑な都市を作り上げることであった。
キングス・クロスは、ヒューマン・スケールに基づいた新たな地域として変化を遂げた。私たちは、ロンドンのさまざまな地域を調査し、この都市において価値のある不動産を形成するには、8から12階程度の高さがもっとも相応しい規模であるという結論を導き出した。それに基づきマスタープランが策定された。マスタープランにおいて重要だったことは、2つの線路に挟まれた当該エリアを、両側のエリアと調和した都市形態とするとともに、歴史的な要素を保持するということであった。キングス・クロスのマスタープランは、新たに生み出された都市空間の中で、その土地の歴史を感じられるように策定された。
私は、「デザイン・フォー・ロンドン」(Design for London)というロンドン市長の建築諮問機関の運営を行ったが、そこで強い関心を抱いていたことは、小さい規模の取り組みを通じて、どのようにエリアを変えることができるかということであった。私たちは部分的な変更を積み上げたり、時限的な都市づくりを行うことに関心を抱いていた。時計を分解するように、都市を要素に分解し、それをもう一度、組み上げながら、都市の魅力を高めようとした。その土地にあるものに価値を見出しながら、その土地に欠けている小さな要素をできる範囲で付け加えることで、地域の改善につなげていく、といった方法に関心を持っていた。
強調したいことは、何を行うにしても空間的なゆとりが必要である、ということである。都市は予測不可能なことに対する空間的なゆとりを持っていなければならない。都市計画の分野では想定できないことを人々は行うものであり、都市にはそういった活動を包みこむような空間が必要である。
都市は、まさに地球規模の救済の場所であると言える。都市は、繁栄、持続可能性、社会的変化という点において、私たちにとって役に立つものである。特に高密度な都市に住む人々は、私たちが生きる時代の複雑性に圧倒されている。世界はつねに複雑な場所であり続けてきたが、現代においては、技術の進歩によって、世界の複雑性や、遠く離れた世界を、かつてない方法で見ることができるようになった。
現在、70億の人間が地球という惑星に散在しながら住んでいる。もし、その70億の全ての人が3階から4階建てのテラスハウスに居住すると想定した場合、1ヘクタールあたり75ユニットを建てるだけで、全人類がアメリカのテキサス州に収まる計算になる。すなわち、どのような密度で居住するかということが、将来の世界を決めることになる。もし人類がもっと高密度に住むことになれば、二酸化炭素排出量を減少させることができ、よりよい地球をつくり出すことができる。一方、都市の高密化や集積化は、匿名状態や無個性化をもたらし、人々に不安を与えるということも分かっている。
人々は世界の中で彷徨っている。特に真の「美しさ」への理解という意味においては、完全に道に迷っている気がしている。21世紀そして22世紀において、「美しさ」を通じて人々が世界の複雑性をいかに許容することができるかということについて論じたい。こうしたことを考えるとき、私たちは、もはや一人のスーパー・ヒーローとしての建築家を必要としていない。いま私たちに必要なのは、特別なスキルを持った専門家集団である。私たちは、様々な志向、人種、スキルを持った人々を必要としている。彼らは「美しさ」を与えると同時に、複雑性を垣間見るレンズを与えてくれるのである。
私たちは、水平に拡大しながら、科学技術、風車、ソーラーパネルを使って、20世紀型の都市モデルの問題を克服しようとするべきではない。むしろ、空間を高密度に使い、自然は自然のまま残すような都市の使い方をするべきである。自然へのアクセスは主に列車によって、よりダイレクトにできるようにしていくべきである。同時に、かつてのハブ&スポーク型都市が、急速に変化していることを理解している。郊外に住み、都心のビジネス街に毎日通勤するといった考え方は急速に変化してきている。技術の進歩のおかげで、人々はネットワーク型都市ということを考えることができるようになっている。そのモデルにおいては、大都市においても、人々が地域を超えて住み、働き、遊べるようなエリアが群島のように存在している。
私たちは、マンハッタンの外側の10キロメートルに及ぶ地帯にある地域を再発見しようとしている。この地域は、ドミノ・プロジェクトと呼ばれ、ブルックリンの新しいウォーターフロントの一部である。私たちは、この地域の小規模な部分から都市の複雑さを非常に慎重に解釈しようとした。まず、橋や工場という規模から考え、そののちに高層建築のスカイラインという規模を検討した。地域の建設という意味においては、建物がどのように街路と交わるのかということが、決定的に重要である。ハイテク産業の85%の雇用は昔ながらの建物で創出されていることが分かった。人々は高層ビルというより、こうした戦前の古い建物に居たいと思っているのである。彼らは一味違った職場環境を求めている。これこそ、私たちがニューヨークに作ろうとしているものである。私たちは、ブルックリンに新しいスカイラインを与えようとしている。ブルックリンはニューヨークの歴史における、新たな物語となろうとしているのである。
バークレイズ・センターはアメリカ初の駐車場を併設していないアリーナである。そこには1台分の駐車スペースすら設けていない。建物はコルテン鋼でできているが、それを可能にしたのはコンピューターである。コンピューターでデザインされ、そのデザインがダイレクトに金属加工業者に送られて製作された。この種の都市建設の重要性は、それが、都市の重要な一部分であり、古いものと新しいもの、高いものと低いものを統合する役割をもっているということである。それが都市の集約化を語る上で非常に重要なことである。人々はその場所が持つ肌触りを感じるとともに、ある種の喜びを感じるものである。おそらく、こうした建物は、複雑性の時代において、我々がどのように住むべきかということについて考える機会を与えてくれているのである。
「メトロポール」(メトロポリス、大都市)についての知識というものはまだ存在していない。メトロポールというものについて、私たちは知らないことが多い。たしかに、私たちは長い歴史を持つ都市についてはよく理解している。しかし、メトロポールは郊外における新たな存在であり、それについて私たちはひどくナイーヴである。メトロポールについて考えるために、単数形の複雑性(complexity)だけではなく、複数形の複雑性(complexities)を考えなければならないだろう。この概念は大きく開かれたものである。複雑性については一つの戦略ではなく、多数の戦略について考えなくてはならない。
パリについて考えるために、単に公式の200万人のパリ市民だけでなく、1200万人のパリ都市圏の人々について考えなければならない。なぜなら、この大都市の経済的、社会的、文化的、そして物質的影響力は実に多くの人々をひきつけているからである。この大都市には「グラン・パリ」(あるいはグレーター・パリ)という新たな名前が与えられている。重要な問題は、通勤者や一時的なパリジャンという捉えがたい人々を含めた、全ての人々にとっての大都市をどのように構築することができるか、ということである。
この問いに答えるために、ニコラス・サルコジ前フランス大統領は、専門家のチームによる実験的組織である「グラン・パリ国際ワークショップ」(L’ Atelier International du Grand Paris)を立ち上げた。グラン・パリに関する他の多くの経済・都市研究ラボとは異なり、このワークショップは、全体論的・マクロなアプローチをとらず、むしろいくつものミクロな戦略を生み出すことを目的としている。それは、個別のコンテクストや集団を対象としながら、人々のニーズに焦点をあてるものである。
ドミニク・ペロー建築事務所(DPA)は、私たちが「名を刻まれぬ人々」(uninscribed)と呼ぶ、大都市における特定の人々のニーズに焦点を当てることにした。彼らは、大都市の機能にひきつけられてやってくる人々である。たとえば、彼らは他の世界都市に簡単に移動できるエリート外国人かもしれないし、パリに住むためではなく勉強をするために来ている学生かもしれない。あるいは、病院や福祉システムを必要としてとどまっているケガ人なども含まれるだろう。彼らにとっては、「帰るべきところ」(home)は都会のアパートではなく、田舎にある家なのである。しかし、彼らはそれでも、好むと好まざるとに関わらず、大都市の流動的な生活という実験にパイオニアとして参加してしまっているのである。
こうした流動的な生活は、住宅の新たな形や時間性を必要とする。このような生活に直面する最も貧しい20%の人々は、福祉サービスによる補助を受けており、極端な国際的移動の影響を受けることも比較的少ない。一方、最も裕福な1%は、流動的なやり方で不動産を管理するだけの富や手段を持っている。しかし、残りの79%は、この新たな生活に自らの力で立ち向かわなければならないのである。
大都市の生活の現実に適合した、新たな都市の装置を作り上げるにあたって、私たちは大都市の活動における重要な場所を見出そうと試みた。そのために公的な施設、高い技術を持った労働者の集積、運輸や産業の中心地域に関して調査した。その結果、私たちは、グラン・パリの実態に関する空間構造を明らかにすることができた。そこでは、さまざまな個別の要素が結びついて雲のようになっており、郊外のあちこちでかたまりをなしている。
ここまで見てきたように、大都市と伝統的な都市形態の関係は、量子力学とニュートン物理学の関係のようなものである。私たち建築家にとっては、これは非常にエキサイティングな状況である。というのも、物理学においては、ヴォイド(無)は、あらゆる場所に遍在しつつも、さまざまな要素を結びつける現実の物的つながりをなしているからである。これによって生み出される地図というのは、当然、星図のようなものである。そこでは、ローカルなシステムがなす“星座”は、行政区域とは無関係に存在しているのである。私たちが計画する装置は、このさまざまな星座を大都市における実体としてとらえることを目的としている。
パリは100の村がある都市だと言われている。大都市を、100のメタ・ヴィレッジを持つ「メタ都市」ととらえると、私たちは「ホテル・メトロポール」をそれぞれの星座における一つのプログラムとしてとらえることができる。「ホテル・メトロポール」は「オテル・ドゥ・ヴィーユ」(フランス語で「タウン・ホール」)に似ているかもしれない。そのもっとも顕著な役割は、メタ・ヴィレッジを特徴づけるランドマーク建築となることである。一方、機能面においては、「名を刻まれぬ人々」にとっての一時的な住居としてその役割を果たす。この空間は、また、さまざまな職業を持つ人がともに仕事場を共有したり、何らかの訓練、教育、あるいはモノづくりを行うための場所として用いることができる。そして、もちろん、そのすべては、スマートにインターネットに接続されている。この建物は、最適な形でコミュニティに共有され、都市の財産となるのである。
「ホテル・メトロポール」は、大都市において居住でき、労働でき、個人の人生を拡げることができる場所である。それは、歴史的なパリの中心地においてかもしれないし、郊外の星座の中においてかもしれない。この考えは、大都市の生活条件を受け入れながら、人々の近接性や人間同士の相互作用を拡げようとするものである。私たちは、新たな近代運動を始める必要はない。すでに存在する建築のタイポロジーを再利用しながら、スマートな形でネットワークを構築すればよいのである。
いわば、ホテル・メトロポールは、大都市の流動的環境における一つの参照点でありながら、手の届く建築でもあるという逆説を抱えている。この建物は、イノベーションの急速な進展にも歩を合わせながら、新たな必要条件にも適応することができるものである。多くの意味で、これはミース・ファン・デル・ローエのクラウン・ホールの大都市への応用、つまり、コミュニティのための多目的空間なのである。
今日登壇した方々は、それぞれ異なった方法で、予測不可能性という考え方について議論しているように思う。都市に関して特別なこと、都市の素晴らしさというものは、計画することができない。都市の素晴らしさは、さまざまな予測不可能な要素の衝突によってつくりあげられる。それが、都市計画というものに内在する根本的なパラドックスだと思う。都市計画家は得てして、高層の建物はここ、低層の建物はあそこ、というように我々の生活があたかもそのように作られているかのように計画を生み出す。背の高い人には背の高い友達しかいない、とでもいわんばかりである。しかし、このような形の集約化や高密度化の戦略というのは、予測不可能性という要素を失い、最終的には静的な都市になってしまうのではないか。そのような方向性で都市が成長していくことを、私は最も危惧している。
私がロンドン市長の下で働くことになったとき、たった一つだけ言われたことは、私の仕事はロンドンについて考えることであり、何がロンドンをユニークなものにしているのか、どのようにしたらより良くなるのかを考えよ、ということであった。そこで我々は、多くの時間を他の都市の研究に費やした。そこで驚いたことは、どの都市も抱えている課題は共通しているということであった。また同時に、その解決策も共有できるものがほとんどであった。更に、ロンドン市民として感じることは、150マイル離れたイギリスの他の都市に住んでいる人たちよりも、ニューヨークや東京に住んでいる人との方が、共通点が多いということであった。つまり、都市に関する共通のアジェンダがあるということだ。それが重要である。本日、他の3つのプレゼンテーションを聞いて驚いたのは、多少のニュアンスの違いや、文化的な背景は異なっているとしても、我々はほとんど同じことを言っているということだ。このことは大変に興味深いことである。東京がニューヨークやパリ、ロンドンとほんの少し異なっているという点は、とても面白い。それが、我々が他の都市から学ぶべきことではないかと思う。
私にとって東京はとても魅力的な都市である。というのも、大きな規模の高層ビルと小さな規模の建物との近接性がうまくコントロールされているからである。この都市のタイポロジーや形態というのは貴重な財産だと思う。これらのスケールを大きな道路のネットワークで繋ぐことは非常に難しい。パリでは、このような高層ビルと小規模ビルが混在したような都市を作り上げることは極めて困難である。メトロポールについては、一つではなく、多くの答えがある。我々はただ一つのグローバル戦略というものを考えるべきではない。既存の状態からの変化や適応を考慮しないということは非常に非効率的である。成功する変化への道筋は既存の状態の中に示されているのである。メトロポールは三次元であり、東京も三次元都市である。そこには議論の余地がないと感じている。問題は都市における“ヴォイド”である。メトロポールにおける“空白”が重要なのは、それが全ての人々に開かれているものだからである。“ヴォイド”は不可欠な要素である。都市の中の“ヴォイド”は、都市にいる全ての人にとって、物事を見つめ、受け入れることができる可能性を提供してくれるのである。
東京はこれまでロンドン、ニューヨーク、パリから学びながら都市をつくってきた。1888年、日本が近代化した後の初めての都市計画は、当時のパリ大改造計画を見習って進めようとした。1958年に東京の都市圏計画を策定する際には、1944年のグレーターロンドン計画を模範とした。その後の経済成長の中で東京が目指したのは、トップを走るニューヨークであった。これからの10年間で各都市はそれぞれのモデルをもちながら、それぞれがいい都市を作っていくことになると思う。ぜひ、今後も良好な関係を維持しつつ、良きライバルとして競い合っていきたい。