古川物語

知っていますか?川と町と暮らしの物語

発行日:1992年3月
言語:日本語
書籍版:1,620円

けやきのきれいな表参道の通り、その脇に奇妙な道がある。交番の脇にあるその道に行くには階段を下りなければならない。表参道からは車や自転車が入ってこないので、一寸ほっとする空間である。そして表参道をわたった反対側をみると、ビルの並びが丁度切れた所に同じく階段がついている。気がついた人も多いと思うが、この道は昔は川だったのだ。
川は渋谷駅の下を通り、東横線の脇で地表に顔を出す。ここからは渋谷川と呼ばれ、明治通りの脇を流れ、港区にはいる天現寺橋からは古川と名前を変える。多少増えた水量が川らしさを感じさせ、天現寺橋の下のたまりには港区役所が放流した鯉が泳いでいたりして、おやと思わせる。ここより下流は上空を首都高速道路に遮られながら、五の橋、四の橋、三の橋、二の橋、一の橋という数字の着いた橋の下を流れてゆき、最後は伊豆七島航路の客船が着く竹芝埠頭の南で東京湾に注いでいる。今では、古川の上流も川と呼ぶには余りにも虐げられた状態だが、かつては絵に描かれるような風情のあるところだった。そして、その流域は人々のいきいきした暮らしが繰り広げられたところでもあった。
土地の記憶は、毎日の暮らしの中で生き続け、生活に彩りを与えてくれるものである。また、そこに暮らす人のアイデンティティとなって、郷土意識を育む糧ともなる。しかし、人の出入りの激しい現代では次々と新しい記憶が積み重ねられる一方で、過去の記憶は失われやすいものである。東麻布、麻布十番、白金の街にはどのような記憶が残されており、また、今創られているのだろうか。そして、それぞれの街の雰囲気や「らしさ」はどのようなものなのかを探ってみたい。